おはようございます!
民宿美味し宿かどやのGakuです。
一昨日、城崎温泉泊覧会(城崎オンパク)に参加してきました!
たくさんの体験アクティビティがあります。
実際にその地域特有の体験をして、更に地元の人のお話をじっくりお聞きできるチャンスは滅多にありません。
昨日お話させていただいた私の町の「まちあるきガイド」も同様です。
で、今回参加したツアーがこちら
↓↓↓
1300年の歴史!温泉寺副住職に学ぶ古式入湯作法
城崎温泉の歴史、温泉寺と城崎温泉の関わりを学んだ上で古式入浴法を教えてもらい、実際に城崎温泉七湯の1つ、まんだら湯に入ります。
実際にロープウェーに乗り、温泉寺で解説を受ける、2時間のプログラムです。
人はなぜ温泉に行くのか
まず、大前提として知っておかなければならないこと。
皆さんはなぜ、温泉へ行きますか?
通常は『観光』ですよね。
1泊2日、2泊3日で温泉入って美味しいもん食べて。
これが普通です。
でも、昔は。
戦前は違いました。
目的は『湯治(とうじ)』。
以下、Wikiより
湯治(とうじ)とは、温泉地に長期間(少なくとも一週間以上)滞留して特定の疾病の温泉療養を行なう行為である。日帰りや数泊で疲労回復の目的や物見遊山的に行なう温泉旅行とは、本来区別すべきである。
そう、長期滞在による温泉治療だったんですね。
古来、名だたる温泉地は「湯治」、すなわち療養地として栄えていったのです。
城崎温泉のすごいところ
今回、温泉寺内にある重要文化財をたくさん観ることができました。
なんと!国指定の重要文化財が5つも!!
本堂は室町時代初期、至徳4年(1387年)頃建立ということで、但馬で最も古い木造建築物です。
堂内の重要文化財もたくさん見せていただきましたが、その中でも最も感動したのがこちら。
江戸時代に描かれた「温泉寺縁起」
※温泉寺公式HPより画像を借用
この「温泉寺縁起」、どういったものか?
江戸時代の印刷技術、木版印刷で大量に刷られていたもののようです。
つまり、当時の城崎温泉の案内(観光)パンフレット。
左半分が温泉寺、右半分が外湯を含めた城崎の町並みが描かれています。
温泉寺の占めるウエイトと、外湯のウエイトが同じ。
観光パンフレットなのにお寺がどうしてこんなに大きく?
まず、温泉寺にお参りしてから温泉へ
最初にお話した通り、昔は『観光』ではなく『湯治』として温泉に行きました。
江戸時代。お寺参りと温泉(湯治)はセットだったのです。
温泉寺にお参りに行ってから温泉に入る。
湯治とは温泉療養のこと。
お湯の力を借りて病を治す。
城崎において温泉は尊いものとされてきました。
病を治す、身体を元気にしてくれる温泉に感謝する。
まずは温泉寺にお参りをして、それからでないと温泉には入れなかったんですね。
現在、城崎温泉で外湯に入ろうとするとお金を支払うかゆめぱ(城崎温泉の湯めぐりパス)が必要です。
当時もお風呂に入る際「既に温泉寺にお参りに行ってきました」という証明となるゆめぱのような存在のものがありました。
いや~
城崎小学校、城崎中学校出身の私ですが、初めてうかがうお話でした。
ということは、ひょっとして城崎の人でも知らない人が多い話?
通常、温泉地に「温泉寺」なるお寺があることは全国的にもよくあります。
でも、城崎温泉と温泉寺のようにセットで同じ歴史をたどり、共存してきた温泉地はありません。
城崎温泉における温泉寺の存在。
今まで全く知らなかったことであり、聞くお話がもう目から鱗ボロボロ。
では、戦前まで、城崎温泉において温泉寺にお参りに行ったことを証明したものは何だったのか。
この続きは明日お話いたします。
☆★☆城崎温泉は当館より竹野経由、車で30分弱☆★☆
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