おはようございます!
民宿美味し宿かどやのGakuです。
今日は、当ブログ本来の姿である地域のお話に戻ります。
月に1回通っている小代ファンクラブミーティング。
先日、但馬牛ミニ博物館の活用・改善会議ということで開催しました。
何を展示して、何を説明するのが伝わるのか。
展示会場を見ながら色々と検討。
小代の但馬牛の歴史をわかりやすく区分けしていこう、という話になりました。
大きく分けて4つのシナリオで。
説明をわかりやすく知るために、時系列をあえてさかのぼって行きます。
- ・放牧、現在の様子、畜主さんの思い
- ・田尻号、黒毛和牛の99.9%
- ・外来種問題、奇跡の4頭「ぬい号」あつた蔓
- ・前田周助と小代谷大牧場化計画
それぞれが、もっともっと知られるべきすごいシナリオです。
- ・放牧、現在の様子、畜主さんの思い
まずは小代で見てもらいたいのは牛が健康的に放牧されている風土。
そして、畜主さんたちの思い。
既に写真はありますので、これらをどう紹介していくか。
「今」を見せる仕掛けを考えたいです。
2.・田尻号、黒毛和牛の99.9%
当ブログでも何度も登場している田尻号。
和牛のふるさと「小代」はもっともっと有名になって良いはず!<但馬牛>
この部分の資料はたくさんあります。
現在の黒毛和牛の雌牛99.9%の元となっている田尻号。
この牛のおかげで今の美味しい和牛があるわけです。
また、田尻号を育てた田尻松蔵さん。
昭和30年に黄綬褒章を受賞されました。
素晴らしい資料の数々。
これらのスゴさ、もっともっと伝えたいです!
3.・外来種問題、奇跡の4頭「ぬい号」あつた蔓
明治時代後半。
但馬牛が絶滅の危機に瀕したことがありました。
小柄な但馬牛を大型化する目的で、欧米の大型種の牛を輸入。
交配が行われたのです。
しかし、この交配牛
「 使役牛としての能力が落ちるし、肉質も落ちる 」
ということになってしまいました。
外国種との交配が中止された後。
周囲には交雑種の牛しか見当たらないという事態に。
小代も例外ではありませんでした。
が、熱田集落に4頭のみ純粋種が奇跡的に残っていました。
その中の1頭が 「 名牛 ぬい号 」、田尻号の5代前の牛です。
のちにあつた蔓と呼ばれる系譜のはじまりです。
4.・前田周助と小代谷大牧場化計画
では、小代が名牛の里である礎(いしずえ)を築いたのは誰か?
江戸時代末期に小代の水間に生まれた前田周助です。
但馬牛の改良に人生をかけ、優良な系統牛「 周助蔓 」を作り出しました。
今の「 但馬牛 」の系統の基礎をつくった人物です。
「良い母牛には良い子が生まれる」
このことを感じ、牛の系統作りを始めました。
(「蔓」(つる)牛と呼ばれる系統図のはじまりです)
メンデルの遺伝の法則が発表されるよりも前のことです。
その牛たちを小代谷に集め、大牧場とする。
当時の貧しい村民の生活向上のための資源としようとしたのです。
前田周助の小代谷大牧場化計画。
(私が勝手に作った名前です^^;)
周助とともに小代牛(おじろぎゅう)の名声は高まりました。
和牛の里としての名声はこの頃から続いた系譜なのです。
周助が小代で育てた牛の「周助蔓」。
その8代目の子孫に当たる牛が「ぬい号」。
更にそこから5代目の子孫に当たる牛が「田尻号」です。
現在、私たちが食べている和牛の殆どはこの田尻号の子孫です。
それってすごいことだと思いませんか?
以上、大きく4つの時代に分けて紹介させていただきました。
このことをもっとわかりやすく。
貴重な資料や写真も駆使してうまく伝えていきたい。
但馬牛ミニ博物館リニューアル計画。
こちらで但馬牛、和牛の里小代の素晴らしさを知っていただく。
そしてその後美しい景観をのんびり散策していただけるように。
ご期待ください。
香住/佐津/柴山 民宿美味し宿かどや
Tel:0796-38-0113
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