日本海側の海辺の町だから。久しぶりに北前船について学ぶセミナーを受講してきました
北前船の”北前”とは、瀬戸内や阪神から見て、日本海方面を指していう地域名称のこと。つまり、北前船は大阪発西回りで日本海を北上、北海道まで運行していた船のことです。江戸時代に東回りや太平洋を移動していた廻船のことを”北前”船とは言いません。
おはようございます!民宿美味し宿かどやのガクです!!
10年ほど前にもかなり深く勉強していた北前船について。先週、久しぶりに講習会を受けてきました。
北前船の寄港地は、日本遺産に認定されています。
兵庫県北部地方は日本海側に豊岡市、香美町、新温泉町と1市2町がありますが、日本遺産のプロジェクトには、新温泉町が参画しています。
参画していない豊岡市や香美町にも、北前船の歴史はしっかりとあります。
例えば、豊岡市には竹野町が北前船が盛んだった地域であり、”北前館”という温浴施設兼北前船の展示施設があります。
香美町にも今回の講習会を開催した香美町立ジオパークと海の文化館の2階に北前船の展示物と解説のコーナーがあります。
今回は主に香住の北前館の歴史にフォーカス。例えば、北前船のスタートは寛文12(1672)年、河村瑞賢による西廻り航路を確立した時。この時、幕府認定の寄港地が10箇所定められました。それが以下の通り。
・佐渡小木(新潟県佐渡市)
・能登福浦(石川県志賀町)
・但馬柴山(兵庫県香美町)
・石見温泉津(島根県大田市)
・長門下関(山口県下関市)
・摂津大坂(大阪府大阪市)
・紀伊大嶋(和歌山県串本町)
・伊勢方座(三重県南伊勢町)
・志摩安乗(三重県志摩市阿児町)
・伊豆下田(静岡県下田市)
出羽酒田(山形県酒田市)から下関経由で江戸までこのルートで最初に選ばれた10の港。オリジナル10ですね。その中に現在の柴山港が入っています。
今回、北前船のお話を香美町(香住海岸)にフォーカスした講座だったのですが、色々と興味深いお話がありました。例えば、北前船が始まった当初は柴山港の手前「今子浦」が風待ち港(避難港)として大いに活躍しましたが、それは江戸時代陸が見えるルートを航行していた時代のこと。江戸時代末期になると、沖合い移動が多くなり、次第に今強羅へは寄稿されなくなったとのことです。また、明治末期になると、鉄道が敷かれ、運送手段が海から陸へと変わっていきました。香住で廻船事業をされていた方が撤退して行ったのもこの頃です。
廻船から漁業、海水浴ブーム、そしてカニを中心とした観光業へ。50年周期で働き方、産業が変化して行ったのが当地であり、江戸時代から明治の半ばまで、廻船(北前船)が最も盛んだった頃の話を聞くのもまた、当地の歴史の一時代を知ることとなります。
ちなみに・・・
かどやの前の町道は戦前、廻船を営んでいた庄屋さんの豪邸が並んでいた道でもあります。
また、佐津で海水浴をしていたら、北前船の歴史を知ることのできる異物と出会ったり。
現存の風景からも歴史を感じたりもできます。新しく仕入れられた裏話、エピソードは今後も当ブログにて紹介していきますのでご期待下さい。
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