おはようございます!民宿美味し宿かどやのガクです!!
同じ貝殻島を目の前に眺める浜でも、佐津海水浴場と安木浜海水浴場とでは距離感、景観が全く異なります。
写真でも伝わりますが、実際の目で見ると貝殻島までの距離感が全く異なることがよくわかります。
今日のブログは、そんな安木浜海水浴場についてお話しします。
ちなみに、佐津海水浴場の全長が700mなのに対し、安木浜海水浴場の全長は300mほどです。
テトラポットが沈めてあるのがわかります。佐津海水浴場のようにドン深ではないということですね。
さて、そんな隣同士で兄弟のような湾となっているのが佐津と安木の関係なのですが、昔は湾岸道路がなく、船か山越えでしか行き来できませんでした。江戸時代にも両者で揉め事が起こっています。
それを後世に伝えるのがこちらの石碑。
えっ!?クジラの供養塔?
と思われるかもしれません。実際に、クジラが湾内に入ってきて、それを引き揚げたのだとか。この供養塔である石碑には「天明二壬寅年 寄鯨供養・ 二月廿六日 施主村中」と書かれています。
天明2年ということは1782年ですね。徳川家治・家斉(10代、11代将軍)の時代です。天明の次が寛政です。寛政の改革って日本史で習いましたよね。その頃といえばイメージできるでしょうか。
安木村の沖合に鯨が流れ着いた。当時はちょうど「天明の飢饉」の時代、食糧不足の時代に鯨は貴重な食料です。でも、訓谷村(佐津海水浴場、かどやのある集落)から見ても沖合、隣同士の村で取合いになり大喧嘩になりましたが、久美浜代官所の裁定により安木村のものとなったそうです。この石碑は当時、飢餓から救われた村民がその鯨に感謝の気持ちを込めて建てた慰霊碑であると伝わっています。
・江戸時代に訓谷と安木で大喧嘩があった
・代官所は久美浜にあった
・日本海でも鯨が浜に流れ着くことがあった
など、ユニークなエピソードを知ることのできる石碑です。確かに、佐津の湾内に鯨が入ってきたら今でも佐津海水浴場なのか、安木浜海水浴場なのか、揉める気がしますね(笑)。
※Googleマップより
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香住/佐津/柴山 民宿美味し宿かどや
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