そういえば、佐津海水浴場をきっかけにして生まれた民宿。その民宿事業者が参画する佐津観光協会は1968年に誕生したそうです。
来年2018年が観光協会ができて50年。節目の年になります。
※現在「さづ海岸観光組合」という名称になっているのは「香住観光協会」の下部組織であることから、「協会」という同等名称が観光客の皆さんからご覧いただいた際に混乱する名称となりかねないということから、「組合」の方になりました。
おはようございます!民宿美味し宿かどやのガクです。
さてさて。佐津海水浴場以外にも面白いお話は色々ありました。
いくつかご紹介させていただきますね。
「訓谷」の地名の由来は?
まず、「訓谷」の地名の由来について。
当て字での変化が何度かあったようです。
元々訓谷の集落自体は現在のJRの線路よりも南にあったようです。
現在の中心地は元々海か川だったところ。砂が堆積してできた土地です。
昭和30年代まではお寺より北側に
民家はまだまだ少なかったそうです
陸田→久爾田(くにた)→久努田(くぬた)→訓田(くんた)→訓谷
と変化していきました。
最後は当て字に近いですねf^^;
漁業が盛んでした
民宿の歴史は50年ほどです。それ以前は漁業と農業が中心。
漁業は地引網やわかめ干し等浜からアプローチできる浅海漁業が中心だったようです。
地引網漁の様子。東組と西組に分かれるほど
人手も魚も多かったんですね
地引網は昭和30年代後半に終わってしまいましたが、わかめ干しは今も細々とされています。
人口はどうなっているか
江戸時代の人口が書かれていました!
1625年の訓谷村
戸数106軒
人口477人
現在は・・・
2010年の訓谷集落
戸数120世帯
人口370人
※人口統計ラボより
戸数は増えていますが、空き家もあります。戸数も人口も同じぐらいな割合で減っていると思います。
江戸時代よりも人数は丁度100人、2割以上少なくなっています。
藁ぶき屋根の景観
藁ぶき屋根の景観としては昭和40年ごろまでは多かったそうです。
この頃までは懐かしい昔の風景が広がっていたようです。
以上、年表と共にトピックス的に写真も交えながら佐津・訓谷集落を振り返ってみました。
有名な観光地ではありませんが、歴史を振り返れば色々と価値ある風景やエピソードは出てくるものです。
今後かどやへ、佐津集落へお越しいただいた際の参考資料、昔の風景とリンクさせて楽しめる写真としてぜひご活用下さいね。
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TODAY’S PHOTO
訓谷会館”輪”にて
会場となった地域の公民館♪
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香住/佐津/柴山 民宿美味し宿かどや
Tel:0796-38-0113
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