えっと、、、
昨日と今日、かどやから徒歩2分、集落の寄り合い所でもある「訓谷会館”輪”」にて集落の歴史展をやっています。
地域の歴史を後世に「訓谷史年表展示会」
おはようございます!民宿美味し宿かどやのガクです。
年表だけでなく、戦前からの写真も多数展示されています。
今日はその中でもお客様にとっても興味深い部分、佐津海水浴場の歴史の部分のみを抜粋して紹介させていただきます。
佐津海水浴場の歴史
佐津海水浴場の歴史って意外に古いです。
海水浴場の開設
海水浴場として利用されていたのは戦前からになります。
昭和8年「訓谷海水浴場期成同盟会」発足
設備)プール2つ、売店2軒、トイレ2つ、飛び込み台2台、脱衣所、ブランコ、滑り台、休憩所、ボート5隻。但し、当時は宿泊施設はなし。
写真も色々残っています。
手前に子供たちが遊べるタイトプールも作られていたそうです。(今でもその時の杭が現れることがあります)
飛び込み台やプールの設置はドン深の佐津の浜ならではの工夫ですね。
今も沖にイカダを浮かせているのはこの頃からの流れなんだなぁ~と感じます。
遊具の少なかった時代なので、こういった娯楽も海水浴場にセットで設置されていたのですね。
戦前に丹波の小学生の臨海学校の
受け入れはしていたようです!
当時の宿泊施設はお寺を利用していたとのことです。
あと、ビックリしたのは戦前、すでに絵葉書があったこと。
絵葉書としてしっかり風景が
記録されているというのは素晴らしいですね!
民宿・キャンプが始まる
民宿やキャンプが始まったのは昭和40年前後から。私(ガク)が生まれる直前ぐらいですね。
「なぎさ」「かめや」さんが最初に始められたそうです。当時から女性の行動力はハンパなかったようです(笑)。
かどやは昭和45年に創業、7,8番目ぐらいと聞いています。
民宿がはじまったほぼ同時期の昭和40年に西側の松原周辺でキャンプ場もはじまりました。
山陰海岸が国立公園に認定されたのが昭和38年。ちょうどリンクしています。
国立公園内にあるということもあり、松原の景観維持、黒松の保護を目的にキャンプ場が廃止、佐津海水浴場は昭和51年以降キャンプ禁止エリアとなりました。
ただ、当時は「佐津シーサイドビレッジマンション計画」というのがあったようです。
大きな変化となったのは防波堤の設置
浜から海を見る分には河口付近以外ほとんど人工物がないのが佐津の特徴です。
劇的に変化を遂げたのは今の防波堤を作った時でしょうか。
それまでは海側から浜を見てもほとんど人工物のない集落でした。
わかめ干しが盛んだったり、浜から直接舟小屋があったり。昔はこんな感じでした。
この防波堤を設置して以降の姿が今の様子ですね。
自然の景観が今でも残っていることの証明
佐津海水浴場と言えば、浜から海を見る分には戦前とほとんど変わらない景観が広がっているということ。海を見た時に人工物が目に入らない貴重な海水浴場です。
ある意味それを証明したのは以前、時代劇の撮影が多かったということ。
今でこそコンピュータグラフィックで人工物を消してしまえますが、昔は写ったまんまが映画や時代劇になります。
人工物の映りこまない佐津の浜は撮影に人気があったそうです。
あと、私が小学生の頃だったでしょうか。サントリーのウイスキーCMで菅原文太さんがいらして佐津海水浴場が使われたのは。
「飲む時はただの人」って
キャッチフレーズ、耳にしませんでしたか?
以上、地域の歴史年表を佐津海水浴場にフォーカスして紹介させて頂きました。
今なお昔のままの自然景観が感じられる佐津海水浴場。昔の写真や歴史も感じ取っていただけたら嬉しいです。
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