おはようございます。民宿美味し宿かどやのGakuです。もう昨日になっちゃいましたが、1月17日のこと、今日は阪神淡路大震災のお話を書きたいと思います。
なぜ、急に書こうかと思ったかというと、昨日チェックアウトされた常連のU様とのエピソードが震災にまつわることだからなんです。
震災のおこった1995年、私は埼玉でサラリーマンをしていました。朝、直行で営業先のお客様のもとへ向かう道中。6時半頃からラジオの文化放送(小倉智昭の「時計の針は今何時」だったかな?)を聴きながら関越自動車道をお客様のある埼玉県本庄市の方へ向かっていました。時間が経つにつれて被害の大きさがわかってきます。当時、若女将(妹)は神戸で働いていて、阪神芦屋で一人暮らしをしていました。国道43号線沿い。そう、まさに阪神高速が倒れたあの場所です。
写真
http://www8.kobe-np.co.jp/blog/shinsai18/
朝6時過ぎに妹のもとに電話を入れましたがつながりません。かどやに電話を入れたのですが、女将(母親)も連絡が取れないとのこと。車を運転しながら途中サービスエリアに寄って電話などしますが、8時を過ぎたあたりからだったでしょうか。関西方面への電話が全く繋がらなくなり、母親に連絡すらできませんでした。
その間にも被害がどんどん拡大して行っている様子をラジオは伝えます。「正直、妹はやばいかもしれない」と半分覚悟を決めていました。結局、妹から母親のもとに連絡が入り、私に無事であることの連絡が来たのは夜になってからでした。何でも芦屋から大阪まで歩いて避難したそうです。「淀川を越えた瞬間に別世界だった」とその時のことを後に聞きました。歩き疲れ、風邪をひき、その後大阪で数日寝込んだそうです。
そんな震災直後。当時のかどやはというと、お客様がバッタリといらっしゃらなくなりました。もちろん、当館だけではありません。香住のお客様は9割が阪神地方の方々です。ライフライン、交通網が無茶苦茶になって、1995年の関西地方は1月17日以降カニ旅行どころではなくなったんですね。
当時のことを振り返ると女将曰く、「震災直後はお客様は全く来ない、キャンセル電話も入らない人もいた」状態だったそうです。(電話がつながらない人も多かった。仕方ありませんよね・・。)
開店休業状態で宿を真っ暗にしていた震災間もない日の夜、突然お越しいただいたのがU様だったんです。仕事も何もできず、せめて楽しみにしていたカニだけは食べに行こうと決めていてなんとかお越し下さったそうです。
あれから21年。毎年今の時期にお越しになられます。チェックアウトの際には来年の予約をしてされます。(2017年の予約も既に完了!)当時はカップルでいらしてましたが、今はとても大きくなられた中学生のお子さんと3人家族でいらっしゃいます。
当時の思い出を振り返りながら、U様ご夫婦と談笑する女将はとても懐かしそうで嬉しそうでした。
震災により、神戸で働いていた若女将は会社を辞めて戻ってきました。この2年後、ナホトカの重油流出事故が起こります。
写真
http://www.city.maizuru.kyoto.jp/
カニが重油まみれで食べられない、なんて風評被害が起こりました。
震災の影響からようやく脱しようとした時にまたカニシーズンに起こった事故。お客様が激減、かどやをたたまなければならないかも、という女将の悲痛な声に、翌年の1998年、私も会社を退職しかどやに戻ってきました。
結果的に阪神大震災は、私がかどやを継ぐことに対して、背中を押すきっかけになりました。あの時、あの震災がなかったら、私はかどやを継いでいたでしょうか。継いでいたかもしれませんが、もっともっと後だったかもしれません。
今だからお話しできること。ひょっとしたらかどやがなくなるかも?!ということが起こりそうだったことが一度だけあったんです。結果、かどやは今も元気にやっていて、当時いらしたU様が20年以上毎年いらしてくださってます。
そんな光景をまだまだ見続けていけるといいなって思った昨日のチェックアウトでした。今日は震災にまつわる昔話、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
*******************************************************
TODAY’S PHOTO
雑炊の前にはご飯を洗います!
雑炊とおじやの違いって?
↓↓↓
カニ鍋シメの定番「おじや」と「雑炊」ってどう違うの?
民宿かどやプラン一覧はこちら
*******************************************************
香住/佐津/柴山 民宿美味し宿かどや
Tel:0796-38-0113
↑↑↑
スマートフォンから電話番号を
タップすると直接発信可能です